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マッチ製造機械化の進展 - 昭和31〜40年(1956〜1965)

昭和22年(1947)に日本燐寸会議所が設立され、その中に化学研究室および機械研究所ができた。24年には社団法人日本燐寸工業会に組織変更されたが、それぞれの研究は継続しマッチ製造の発展に貢献した。化学研究室では、膠のゼリー強度試験器を作り、マッチ会社の膠の試験に応じた。また、白くない2番軸の漂白に対し従来の効果の少ない亜硫酸ガスの還元漂白の代わりに、過酸化水素水による酸化漂白や脱硫マッチ製造の指導を実行している。機械研究所が昭和30年(1955)までに開発した機械には頭揃機、頭付折取機など屑軸の回収に役立つ機械、マッチ製造の能率化を図る白軸折取機や箱貼機等がある。昭和29年(1954)には京都製作所において紙製のマッチ中箱を作る中箱製造機が完成し、経木の小箱から能率のよい紙製の小箱へと変化していった。

日本燐寸調整組合を昭和27年(1952)に設立してから、マッチ製造の機械化が急速に進んだ。昭和30年に八家化学工業株式会社が一連のブックマッチ製造機(CM機、PM機、AM機)を導入、ブックマッチの製造を始めた。同社は昭和36年(1961)にドイツより自動マッチ製造機、自動軸揃機、箱詰機を導入し、千葉県松戸市で一貫生産を開始した。それ以後マッチ業界の自動化の波が全国に拡がり、機械化が大きく進歩した。


自動マッチ製造器
自動マッチ製造器


箱貼機
箱貼機


箱詰機
箱詰機

昭和31年(1956)には中箱用の紙を製造するロールカッターを社団法人日本燐寸工業会機械研究所で改良設計・製造して、広告燐寸協同組合(広告燐寸東京向出荷協同組合改組)に設置稼動し、全国のマッチ製造業者にマッチ中箱用紙を供給した。

機械研究所も昭和30~50年には、軸外し機、自動軸込機、新型白軸折取機、太軸選別機、インプル機、原木皮剥機、頭薬ミキサー、廃水処理装置等を開発・製造して、マッチ製造の合理化に貢献した。

その他、各地の機械メーカーで、紙ダース包装機、家庭型マッチ箱貼箱詰機、三倍型マッチ箱貼箱詰機、三角型マッチ箱詰機、シュリンク包装機等を開発普及したのもこの時期である。

昭和31年には軸木の共同生産を目的とした日本燐寸軸木用材協同組合(理事長大西貞三)および、手形割引、ストック融資、原材料購入、機械の販売等の共同事業を目的とした日本燐寸協同組合(理事長永木広次)を設立している。

昭和32年(1957)には「中小企業団体の組織に関する法律」に基づいて、日本燐寸調整組合が「日本燐寸工業組合」に改組された。また昭和38年(1963)には「中小企業近代化促進法」が施行され、マッチ製造の近代化が促進された。

昭和21年から30年にいたるマッチの生産量および輸出量は次の通り。

昭和(年) 総生産量
(マッチトン)
内・輸出量
(マッチトン)
21 152,066 3,416
22 179,688 1,800
23 236,219 703
24 159,386 3,737
25 240,161 12,574
26 283,670 21,663
27 300,904 9,822
28 354,081 12,060
29 392,144 16,732
30 423,461 25,922
31 436,971 18,317
32 460,772 15,890
33 407,539 14,531
34 450,006 14,476
35 477,473 13,279
36 526,471 14,758
37 506,394 14,033
38 505,317 14,409
39 560,814 15,292
40 608,590 13,857

出所:
昭和21~27年 日本燐寸調整組合発行「マッチ業界の現行」
昭和28~31年 日本燐寸調整組合
昭和32~40年 日本燐寸工業組合