マッチコラム
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広告の親玉、赤天狗参上
平成18年1月から3月まで渋谷、たばこと塩の博物館に於いて「広告の親玉 赤天狗参上!~明治のたばこ王岩谷松平~」の特別展が開催された。会場には初めてお目にかかる岩谷松平(いわやまつへい)着用の赤服上着や岩谷が使用した机、銀座邸の応接室再現などが当時の各種たばこ、ポスター、貴重な資料とともに展示され、明治華やかなりし頃の雰囲気を味わうことが出来た大展覧会であった。
岩谷天狗、銀座街に登場
岩谷松平は、嘉永2(1849)年に薩摩(鹿児島県)に生まれ、明治2(1869)年、岩谷本家の家督を継ぐが、明治10(1877)年の西南戦争による家財焼失を契機に上京し、明治11(1878)年、銀座三丁目に「薩摩屋」を構え呉服反物や薩摩の特産品を販売しはじめた。 明治に入り東京などの都市を中心に次第にキセルで煙草を吸っていた時代からハイカラの象徴のひとつともなった紙巻たばこが流行りだしたのを機に岩谷も明治17(1884)年頃からたばこ製造を始め、口付紙巻たばこ「天狗たばこ」を発売する。 岩谷自ら、その宣伝の先頭に立ち、当時にはなかった独自の広告戦略を編み出し、新聞広告がまだ一般化されていない時代に紙上で景品付きという販売法の広告を出し、紙巻たばこを宣伝した。東の岩谷、西の村井との宣伝合戦
そんな時、京都から岩谷同様、時代の流れを感じ取り紙巻たばこを開発していた村井吉兵衛が岩谷の噂を聞きつけ東京に「村井兄弟商会」として進出、明治25(1892)年、日本橋区室町二丁目に支店を出し、ここから純日本葉使用の九州男児、岩谷と外国資本と組み、アメリカ葉を取り入れた西洋仕込みの村井との激しい一大商戦が繰り広げられるのである。 村井はたばこ名を「サンライス」(明治24年発売)、「ヒーロー」(明治27年発売)などハイカラな洋式名を付け、外国製たばこのデザインを真似た西洋風なパッケージデザインは人気を呼んだ。 これに対して愛国の士、岩谷は和風意匠の天狗、鷹、富士山、家紋をメインに配した和魂洋才的なパッケージをほどこし、たばこ名も天狗にこだわり、品質等級では「金天狗」、「銀天狗」、太さでは「大天狗」「 中天狗」などと名付け、また村井への対抗心から「輸入退治天狗」、「愛国天狗」、「 国益天狗」、「御慶天狗」の天狗だらけの銘柄名で徹底的に対抗した。【天狗名煙草一覧】
製品名 | 入り本数 | 定価 | 種類 |
---|---|---|---|
岩谷天狗 | 20 本 | 3 銭 | 口付紙巻たばこ |
白天狗 | 50 本 | 5 銭 | 口付紙巻たばこ |
赤天狗 | 50 本 | 5 銭 | 口付紙巻たばこ |
青天狗 | 50 本 | 6 銭 | 口付紙巻たばこ |
黒天狗 | 100 本 | 5 銭 | 口付紙巻たばこ |
銀天狗 | 50 本 | 10 銭 | 口付紙巻たばこ |
金天狗 | 50 本 | 12 銭 | 口付紙巻たばこ |
小天狗 | 50 本 | 7 銭 | 口付紙巻たばこ |
中天狗 | 50 本 | 8 銭 | 口付紙巻たばこ |
大天狗 | 50 本 | 10 銭 | 口付紙巻たばこ |
日の出天狗 | 20 本 | 3 銭 | 口付紙巻たばこ |
月天狗 | 50 本 | 15 銭 | 口付紙巻たばこ |
陸軍天狗 | 10 本 | 1 銭 | 口付紙巻たばこ |
海軍天狗 | 10 本 | 2 銭 | 口付紙巻たばこ |
義兵天狗 | 20 本 | 2 銭 | 口付紙巻たばこ |
征清天狗 | 20 本 | 4 銭 | 口付紙巻たばこ |
日本天狗 | 50 本 | 10 銭 | 口付紙巻たばこ |
愛国天狗 | 20 本 | 4 銭 | 口付紙巻たばこ |
国益天狗 | 20 本 | 5 銭 | 口付紙巻たばこ |
輸入退治天狗 | 10 本 | — | 口付紙巻たばこ |
日英同盟天狗 | 10 本 | 5 銭 | 口付紙巻たばこ |
ペルリ天狗 | 20 本 | — | 口付紙巻たばこ |
御慶天狗 | — | — | 口付紙巻たばこ |
鷹天狗 | 20 本 | 6 銭 | 口付紙巻たばこ |
木の葉天狗 | 100 本 | 6 銭 | 口付紙巻たばこ |
強天狗 | 100 本 | 28 銭 | 口付紙巻たばこ |
丁天狗 | 50 匁 | 15 銭 | 刻たばこ |
丙天狗 | 50 匁 | 18 銭 | 刻たばこ |
甲天狗 | 50 匁 | 28 銭 | 刻たばこ |
民営から官営へ
しかし、花盛りであった岩谷、村井らによるたばこの民営時代は、日露戦争の戦費調達のため、明治37(1904)年7月に施行された「煙草専売法」により、約30年続いた明治民営期は終焉を迎えるのである。
村井の東洋印刷株式会社は専売局の伏見分工場となり、戦後は日本専売公社の京都印刷工場となった。
岩谷は煙草専売法施行後、渋谷に広大な土地を購入し、今度は「豚天狗」として養豚業を行いながら晩年を過ごした。
たばこも製造業者が自社のパッケージに力を注いだという点ではマッチ製造業者にも共通するものがある。
また、外国製たばこや国産の売れ行きのよい人気たばこの商標、デザイン、銘柄名が多々模倣されていたこともあまり喜ばしくないマッチラベルと共通の悩みを本家のたばこ業者はかかえていた。
ここでは、岩谷商会が景品として配った天狗たばこ意匠を配した小型の宣伝用マッチラベルの数々と当時の派手な赤天狗の暦付ポスターもご披露し、文明開化の時代を彷彿とさせる明治の香りの一端を味わって戴けたらと思う。