English

column09 マッチと花火

 マッチ箱に貼られているマッチラベル商標を印刷する方法として明治初期の頃は、今のデジタル時代から考えると信じられないことをやってのけています。
 ひとつの商標柄を刷るのに桜などの堅い木に同一商標柄を何個も連続して同じように彫っていくのです。とは言っても人間の手で彫っていくもの、全く同じには無理としてもその彫職人のスゴ技は現代のテクノロジーの感覚では考えられないテクニック。
  大量のマッチ製造に対して果たしてそんな手法で本当に作っていたのか半信半疑でいたところ、某所より、まさにその木版製の版木の実物を手にすることが叶いました。

column10_photos1.jpg(20740 byte) 「大黒天日本一」商標、大判版木

「大黒天日本一」商標、大判版木 「大黒天日本一」商標、並型版木(版面:256×142mm)

Column Content

Column01|マッチの発明は、ヨーロッパから
Column02|清水 誠と新燧社商標
Column03|国産第一号の燐票いろいろ
Column04 | 岩谷の天狗煙草票
Column05 | スウェーデンにある世界唯一のマッチ博物館
Column06 | 苫小牧市博物館 「マッチワンダーランド」展覧会記
column07 | 神戸大学付属図書館「近代神戸の源流を訪ねて・鈴木商店とマッチ産業の盛衰」展覧会記
column08 | アンデルセン「マッチ売りの少女」の絵本
column09 | マッチと花火
column10 | 木版の版木商標
Column11 | 中華民国向け燐票
Column12 | インド向け輸出マッチ
Column13 | 幻の大元帥票・前編
Column14 | 幻の大元帥票・後編

「大黒天日本一」商標、大判版木 「大黒天日本一」商標、並型版木(版面:256×142mm)

 版木は、原寸作業で寸分違わず同一に彫りあげた板目彫り版木で、並型商標マッチ用4列5段の20面と同柄のダース票大判(並型マッチ12個詰めの袋の表面に貼付け)2面の二つのセット。
 商標柄は、「大黒天日本一」木版赤一色刷り商標。
 並型版木の版面寸法を計ると縦256×横142mmあり、浮世絵を刷る際の和紙、小奉書の天地3分の1の細判(333×160mm)が刷るにはちょうど良いサイズのようです。
 この商標を調べてみると登録申請は果たしてないので正確な製造時期は不明ですが、これに限っては明治後期の小規模のマッチ製造工場のものと推測します。
 この版木に赤インキをつけて一枚刷って20個分のマッチラベルが出来上がり、これを一日大量に刷って乾いたら裁断し、人の手で経木のマッチ箱に糊で貼って、最後に側面に赤燐を溶いたものを刷毛で塗ってマッチ箱が完成します。

「大黒天日本一」商標、赤刷り大判燐票 「大黒天日本一」商標、並型版木(部分) 「大黒天日本一」商標、大判版木(大黒天紋様) 「大黒天日本一」商標、大判版木(日本一文字)

 この版式でいくと、出来上った燐票は文字や図版の形状が正確には20種類ごく微妙に違っています。これが当時のマニアックな燐票コレクターにとっては、ひとつひとつ間違い探しのごとく、何列目、何段目の刷り物と判別しながら全種類を揃えていくことを楽しんでいたといいます。
 そもそも、こういった元の版木は摩耗して使用に耐えられなくなったり、商標柄が不要となったら無用のものとして悪用されぬよう、割ってしまうか、薪代わりの焚き付けとして燃やされてしまう運命にあったようで、今ではなかなか見つけるのは困難です。今、見ると連続美を伴った細かい彫刻作品のようで感動的ですが、当時の彫り職人にとってはこれくらいの図版精度はわけもなく仕上げてしまう力量を身につけていました。
 大黒天日本一商標のほかにも発見した版木もいくつか紹介いたします。

「桜花に矢」商標、並型16面+大判1面版木*上ヶ島 理氏所蔵 「桜花に矢」商標(大判部分)*上ヶ島 理氏所蔵 「鶏全国一」商標、大判4面版木*上ヶ島 理氏所蔵 「鶏全国一」商標(鶏紋様)*上ヶ島 理氏所蔵 「鶏全国一」商標、赤刷り並型燐票 「倭燧堂 桔梗」商標、大判版木 「倭燧堂 桔梗」商標(桔梗紋様)

 ちなみに、明治後期になると商標印刷事情も初期の頃より大きく変貌を遂げ、木版、銅版で刷っていたマッチ商標も燐寸の大幅な需要増加に伴い、板目彫りよりもさらに細密な表現を可能にした木口木版(木口彫、西洋木版)と言われる、硬い黄楊(つげ)の木を輪切りにした状態で彫る彫刻法が普及しました。
 また、各色の重ね刷りを正しく刷る見当合わせも成り立ち、単色刷りだったものから二度刷りが普通となり、三度刷り、4度刷りの活版印刷が可能となっていきました。併せて、明治25年頃から短時間での大量印刷に応える「電気銅版(電胎法、電気版)」と呼ばれた画期的な原版複製技法が普及し始めます。
 これは、母型となる彫刻版(木版、木口木版、銅版)を伝導体になる蜜蝋で凹型に型取りしたものを硫酸銅を溶解した電槽に浸して電流を通すことで緻密な彫刻も正確に再現する銅電胎凸版を得ることが出来るようになります。
 この方式により、燐寸商標など大量数を要する印刷にはまさに最適で木版をひとつひとつ彫っていたころと比べると格段の早さと安価で希望の版数を得られるのです。
 こうして出来た精巧な木版彫刻電気銅版による活版商標印刷が種類、数量も多く現存し、今もその緻密な画工達の名人芸の技を確かめることが出来ます。
 明治も後期に入った明治37年には、神戸の商標印刷業者によって日本商標印刷合資会社が設立されました。日本商標印刷合資会社の創業は、これまでの燐寸会社の従属的立場からの脱却、独立企業への転換を目指し、金子印刷、森井印刷、小林印刷らが出資し、設備、業務も近代化し、石版、活版商標印刷では兵庫県が抜きんでて業界一の規模となりました。
 商標印刷の最盛期には、当時有名な彫刻家として、難波佐次郎、富岩楽観、湯岡凌草、小野慶太郎、高橋円之助、今中精一などが商標の原版彫刻に腕を振るっていました。
 こうして商標印刷の諸条件を満たし、且つ美的見地からしても魅力的な燐票は、明治40年から大正10年頃までは黄金期として、第一次世界大戦での需要増加による好況も相まって燐寸の国内年産は何と90億個(並型マッチ相当)に迫るまでの発展を遂げます。
 商標用の印刷機も精度が上がり4〜6度刷りの商標も見当の合ったきれいなものが問題なく刷れるようになり、石版の5〜7度刷りなども含めて商標の美術印刷化がますます進むことになります。
 しかし、昭和に入ると広告マッチの需要が増え、時間と手間をかけた石版や電気銅版の印刷は時代のスピードに対応できなくなり、やがて商標の印刷は、電気銅版による活版、石版時代から平版オフセット印刷に取って代わっていきます。

↑ PAGE TOP